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アルマグロ(Almagro)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区の中央部にある地区(バリオ)である。南側のボエド地区とともにコムーナ5を構成しており、センテナリオ公園に対面するディアス・ベレス通りに地区の役所がある。2001年の人口は138,942人である。 中流階級の住民が多い地区である。西端はラプラタ通りとリオデジャネイロ通りであり、南端はインデペンデンシア通りであり、東端はサンチェス・デ・ブスタマンテ通りとサンチェス・デ・ロリア通りとガージョ通りであり、北端はコルドバ/エスタード・デ・イスラエル通りである。通りに沿って商業活動が盛んであり、鉄道路線に沿って多くの高層ビルが立ち並んでいるために高い人口密度を有している。 == 歴史 == 18世紀、現在のアルマグロ地区西部はポルトガル人商人のカルロス・デ・ロス・サントス・バレンテに所有されており、東部と北部はスペイン人弁護士のフアン・マリア・デ・アルマグロ・イ・デ・ラ・トーレが所有していた。アルゼンチンの革命政府はアルマグロの土地を没収したものの、1820年には彼に返還した。サントス・バレンテとアルマグロは農業施設を経営し、都市開発の類は支持しなかった。 19世紀の間、地区の大部分は酪農場やレンガ工場で占められていた。アルマグロ地区とカバジート地区はブエノスアイレス連邦区とフローレス市(現在のフローレス地区)の中間に位置していたが、1880年、アルマグロ地区は正式に連邦区に編入された。 1900年頃にはアルマグロ地区独自の文化が生まれ始めた。1878年にはサン・カルロス教区教会が設立され、路面電車が導入され、大規模な移民の流入が行なわれた。アルマグロ地区の移民の大半はバスク系やイタリア系である。急速な都市化は「移民ホテル」(conventillos)のような状態を招いたが、移民の地域文化への同化は速く、アルマグロは多くの有名なタンゴ曲発祥の地となった。アバスト地区の市場にも近いため、歌手のカルロス・ガルデルは頻繁に市場を訪れ、1930年には「アルマグロ」というタンゴ曲を録音した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルマグロ (ブエノスアイレス)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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